「常陸の国風土記 -ある島での少年と少女のやりとり-」


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転載記事:「日本人よ誇りを持て」 日本の高校生を泣かせた、92歳マハティール首相のスピーチ ライブドアニュースより

「日本人よ誇りを持て」 日本の高校生を泣かせた、92歳マハティール首相のスピーチ

ライブドアニュースより
http://news.livedoor.com/article/detail/14710587/
<転載開始>
2018年5月14日 7時31分

デイリー新潮

マハティール・モハマド(Yanbei/Wikimedia Commonsより)

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92歳の首相就任

 マハティール・モハマド氏がマレーシア首相に返り咲いたことを伝えるニュースでは、その92歳という年齢への驚きがメインに扱われていることが多い。

 なにせ首相の年齢が高いことが問題視されていた日本ですら、首相就任の最高齢は77歳。マハティール首相と同じ年に生まれた有名人を並べてみれば、三島由紀夫マルコムX野中広務橋田壽賀子……。いかに92歳で首相就任ということが異例であるかがよくわかる。

 ただ、日本人がマハティール首相について知っておくべきポイントは、これ以外にもある。前回首相をつとめた際には「ルック・イースト(日本の経済成長を見習おう)政策」を掲げたほどの親日家であるマハティール首相は、自国民に日本の素晴らしさを伝えると同時に、日本人に対してもさまざまな形で熱いメッセージを送り続けてきた。

  
マハティール・モハマド(Yanbei/Wikimedia Commonsより)

 たとえば2002年11月には、マレーシアを訪れた東京都立国際高校の修学旅行生に向かって「あなたたちは日本人の勤勉な血が流れているのだから、誇りに思いなさい」と訴えている。

 これを聞いた高校生たちは、「感動した。こんなことを言ってくれる日本人の政治家はいない」と感激し、涙を流していたという。少し前のスピーチなので、現状とは異なる部分もあるが、メッセージそのものは現在の私たちの胸にも響くところが多い。 

 マハティール首相の著書『立ち上がれ、日本人』に収録されているそのスピーチを全文ご紹介しよう(同書の「序章 日本人よ誇りを持て」)。

アメリカに盲従するな! 中国に怯えるな! 自らの国に誇りを持て!『立ち上がれ日本人』マハティール・モハマド[著]加藤暁子 [翻訳]新潮社

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日本に学んだこと

 発展途上国であるマレーシアは、日本から多くのことを学びました。

 首相に就任した1981年、私は「ルック・イースト政策(東方政策)」を国策として採用しました。これは第2次世界大戦で焼け野原となった日本が、たちまちのうちに復興する様から学ぼうとした政策です。

 かつて読んだソニー盛田昭夫元会長の本に描かれた、日本国民の強い愛国心と犠牲を払っても復興にかける献身的な姿は、私に深い感銘を与えました。労働者は支給される米と醤油だけで一生懸命働き、近代的な産業を育てるため寝る暇を惜しんで技術を磨いていったのです。

 日本人の中でも私がとりわけ尊敬するのは、戦後の日本を築いた盛田昭夫氏と松下幸之助氏です。いずれも先見性を持ち、パイオニア精神と失敗を恐れずに挑むチャレンジ精神、そして独自の考えとやり方で技術革新を生みました。さらには日本の経済成長を助けるマネージメント能力を兼ね備えていたのが、彼らのすばらしいところです。

 私が初めて日本を訪れたのは1961年、家族旅行でのことでした。当時の日本はまだ復興途上で、あちらこちらに爆弾による破壊の跡が残されていました。それでも、大阪では水田の真ん中に建つ松下の工場が私の度肝を抜き、オリンピックの準備中の東京では、日本橋の上に高速道路が建設されつつあるのを目にしました。

 このとき、私は日本と日本人のダイナミズムを体感したのです。人々が国の再建と経済を発展させるために献身的に尽くす光景は、今もまぶたに焼きついています。その後も訪れるたびに発展していく日本の姿を見てきたからこそ、首相になったとき私は日本と日本の人々から学ぼうと思ったのです。

 もっとも注目したのは、職業倫理観と職場での規律正しさによって、品質の高い製品をつくりあげるという姿勢でした。

 戦前の日本製品は「安かろう悪かろう」の代名詞でした。しかし戦後は品質の高い製品を次々に生産し、日本は国際社会で大きく成功しました。労働者は職業倫理観が優れていて、管理能力も高い。多くの国民が戦争で命を落としましたが、残された者が立ち上がり、新しい産業を興し、日本はすばやく発展していきました。

 電子産業の革命を起こしたソニーもその一社で、すばらしい技術でテープレコーダーを生み出しました。松下は戦後再建し、多くの大企業が次々と復活しました。米占領軍は財閥を解体したけれども、新しい形態の会社が次々と生まれていったのでした。

 日本の大企業のシステムは、欧米の会社のシステムとはずいぶん違っていました。会社同士は競争しても、会社は社員の面倒を見る。終身雇用という形態は、西側諸国にはないものでした。社内で従業員による混乱は少なく、労働組合によるデモも就業時間外に行われたため、生産活動には支障を来さなかったのです。

 多くの製品が生まれ、輸出され、外貨を稼ぎ、結果として日本は大きく発展しました。私たちが日本からコピーしたかったことは、日本型システムなのです。国を発展させるための政府と民間企業の緊密な関係を、私は「日本株式会社」と呼んでいます。私たちはこの日本から学ぶことで、他の発展途上国に比べて早く発展することができました。

 東南アジアをはじめとしたアジアの近隣諸国もまた、日本とともに働き、日本の繁栄と技術から学びたいと思っているのです。日本の新しい技術を学ぶことによって、域内全体が繁栄することは間違いありません。

日本人よ自信を取り戻せ

 マレーシアは、近隣諸国を豊かにすることが、自国にとっても大事なことであると確信しています。けっして、貧しい国を置いてきぼりにしてはなりません。

 近隣諸国が貧しければ、多くの問題が自分の国にふりかかってきます。貧しい国から難民がどっと入ってくれば一大事ですが、近隣諸国が豊かになれば自国製品を輸出することもできる。だからマレーシアは、近隣諸国を富ます政策を積極的に取り入れているのです。

 戦後、独立国として生まれ変わったマレーシアには、日本など海外から多くの投資がなされました。日本の企業が進出したおかげで多くの雇用が生まれ、失業率は著しく低下し、国民は完全雇用の状態となりました。このため、海外からの労働者を雇わなければならなくなったほどです。

 マレーシアは日本にとっても、良い市場として生まれ変わりました。日本は投資したものを回収しただけでなく、豊かになったマレーシア人に製品を売ることもできる。2倍儲けることができたというわけです。

 これが私たちの経験であり、多くの発展途上国でも同じことが起きてほしいと願っています。マレーシアは近隣の国々に手を差し伸べ、投資し、職業訓練のために彼らを招いています。その国の発展のために、公共事業にも協力しているのです。

 最も大事なことは、国が域内はもとより世界の平和のために努力するということ。けっしてひとりよがりにならず、他の諸国が発展するお手伝いをするということです。他国が豊かになれば自国も豊かになり、よりよい世界を築くことができる。そうすれば戦争は起こらず、テロ行為の恐怖におののくこともありません。

 いま私は、自分の国に自信をもっています。

 その一方で、米国型の極端な経済改革を行なおうとしている今の日本では、失業率も高く、国民が自信を失っているようです。最近の日本の若者は、もはやかつての日本人のように献身的ではなくなったと私は聞かされました。確かに、貧しい人はそこから抜け出そうと必死に働きますが、ひとたび豊かになると人生はたやすいと思ってしまう。そして努力することを忘れてしまうのです。

 しかし日本を再びいい国にするために、ぜひ頑張っていただきたい。皆さんには勤勉であるという日本人の素質が根づいているのだから、他国の言いなりになるのではなく、自分の考えで行動してほしい。そして自信を取り戻し、日本人であることに誇りを持ってもらいたいと思うのです。

辞任にあたって伝えたいこと

 マレーシアは「ビジョン2020」として、2020年に先進国入りする目標を掲げています。私は22年の首相在任期間を通じて、そのレールを敷く努力をしてきました。

 1997年に始まったアジア通貨・金融危機では、これまで私たちが汗水たらして築き上げてきた国の富を瞬く間に失ってしまいました。しかし欧米型の処方箋を用いず、独自の資本規制などを実施することで、ようやく乗り越えることができました。

 私は辞任の潮時をいつも考えてきましたが、国内経済がやっと落ち着いてきた2002年、私が総裁を務める最大与党・統一マレー国民組織(UMNO)の党大会で辞任を発表しました。誰にも相談しませんでしたから、周囲にとっては青天の霹靂(へきれき)だったことでしょう。本当はすぐ引退したかったのですが、まわりからもう1年だけ頑張ってほしいと嘆願されました。2003年10月のイスラム諸国会議機構(OIC)首脳会議を終えてから引退するようにと――。

 足るを知る。私が幼いころ、母はそう諭しました。お腹いっぱいになる前に食べるのをやめなさい、というのが母の口癖だったのです。

 この22年間で、マレーシアの1人当たり国内総生産GDP)は2倍以上に増えました。日本を目標にした「ルック・イースト政策」が功を奏したことは間違いありません。完全ではありませんが、私たちは日本から多くを吸収することができました。社会のシステムや職業倫理、技術――、そして何より文化に学びました。首相を退任したいまも、私は日本の支援に心から感謝しています。

 経済危機の最中にも本当に大きな力になってくれた日本は、私たちにとっての真の友人です。数十億ドルの支援や、マレーシア政府発行の国債に対して保証を打ち出してくれたことでどれだけ助けられたことでしょう。固定相場制を導入できたのも、日本がバックにいるという安心感があったからなのです。ちっぽけな東南アジアの一国の民として、私は日本にいつまでも熱いまなざしを注ぎ続けることでしょう。

 どうかいつまでもアジアの力となり、手を差し伸べてほしい。今こそ日本に、リーダーシップを発揮してほしいのです。

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愛国主義の大切さ

 なお、こうしたメッセージに対してはとかく「愛国心を不要にかきたててはいけない」と説く人も登場しがちなので、そういう方に向けてのマハティール首相の言葉もご紹介しておこう。

軍国主義はよくないことだが、愛国主義的であることは悪いことではない。愛国主義は国が困難を乗り越える上で助けになる。

 祖国を守ることと攻撃的な軍国主義は同義語ではない」

「はっきり申し上げれば、いまの日本人に欠けているのは自信と愛国心です。日本が『愛国心』という言葉に過激になる理由は、私にもわかります。

 確かに、過去に犯した多くの過ちを認める用意と意思は持たなければならない。しかし半世紀以上も前の行動に縛られ、恒常的に罪の意識を感じる必要があるのでしょうか」

デイリー新潮編集部

2018年5月14日 掲載