「常陸の国風土記 -ある島での少年と少女のやりとり-」


本義だけが意味を成し、本義のみがクローズアップされますように


主要点・根源

「1は全、全は1」分離しない

 

""とは概念として"一次元"である。
」(点)である。

」はその中にすべてを含んだものだからだ。

 

 

1997年12月中頃、橋浦満広は、突然意識が落ち、死んだ。

 

死んだ際、それまでの自らの在り方からなのか、死の中で自らを

これまで「・」のような小さな人間だった。大きくなりたい

意識ではなく根源で希求した

 

前述のように「・」とは、すべてを含んだものを意味する。
橋浦満広は、1997/12以降の、この「」への否定の根源をとらえなおさなくてはならない。

 

今のままだと
「・」のような小さなつまらない自分=「・」=「一次元」=すべてを含んだもの=「神そのもの」を否定していることになる。

 

死ぬ前(前世)の自分を受け入れること。


それは「ある意味前世と相反するあり方をさせられている現世の自分」による必要があり、

ここに昇華(の道)がある

 

「神」=小くて、つまらない、受け入れがたい自分
=すべてを含んだ「・」
=一次元
で、
「生と死」
「過去と現在(未来)」
「次元と次元」
を含んだ概念である。

 

俺(橋浦満広)はきっと今でも、自らを分けて考えているのだ。

 

1は全
全は1

 

 

 -9に関して--

知っていて、イギリス系秘密結社概念「9(苦難)」を避けた人と、なにもわからないまま「9」を与えられて無我夢中だった人(2016/12/01~日本)。途中で「9に立ち向かうことをやめさせられた者(2017/12-2018/01アメリカ)」どれが良かったか?あの時どうだったらよかったか?橋浦満広は誰からも何の説明もなく、無我夢中に、真正面から全部受けて、ここに至った。9を避けた人は、当たり前だが、必然的にONE=ALLになれない(なにかある度避けたことを思い出すことだろう。ここに原因があるのではないかと)。肯定も否定もすべて受け入れて、自らのフロンティアに無我夢中で、真正面なら、いつでも子供の時のようになのにね!


最後、今生の否定の要
「小さくつまらない過去生の自分」を受け入れて、
「1は全 全は1」の本当のあり方をする。