「常陸の国風土記 -ある島での少年と少女のやりとり-」


本義だけが意味を成し、本義のみがクローズアップされますように


言いたいことは、聖書最終章のヨハネの黙示録の最後の一文は、もともとヨハネの黙示録にしかかかっていないということ

時の協会がヨハネの黙示録を聖書最後に配置したために、聖書全体にかかっているように思わされてきたことだ

ここにも狙った悪意はないのである

今言えるのはこれだけである