「常陸の国風土記 -ある島での少年と少女のやりとり-」


本義だけが意味を成し、本義のみがクローズアップされますように


参照:4【 新自由主義外圧 】

http://www.antigangstalking.join-us.jp/

4【 新自由主義外圧 】

 

新自由主義は、アメリカだけではなく、地球全体において、

真の参加型民主主義の眼前に迫った敵であり、今後もそうあり続けるだろう。

                      ‐ ノーム・チョムスキー(Noam Chomsky, 1928-)

次に、ここで視野を広げ、この犯罪システムの時代背景に目を向けると、そこには新自由主義に基づいた外圧の存在があります。実のところ一時は、この犯罪システムを「新自由主義ストーキング」と名付けることさえ考えたくらいです。

新自由主義とは、簡単にいえば、小さな政府とグローバル市場における現場判断を優先した効率化、具体的には、国営企業の民営化、国政判断に係る民間人の積極登用、市場の規制緩和、グローバルスタンダードとみなされる考え方の積極導入などとして現れ、結果として、社会におけるより多くの範囲が、国家による計画や管理対象ではなく、自由市場、自由競争の場となる主義です。

新自由主義は、チリのピノチェト政権、イギリスのサッチャー政権、アメリカのレーガン政権に代表されるように、1980年代に本格的に導入され、日本においてはその後、中曽根政権、小泉政権を経て、国営企業の民営化、市場の規制緩和、労働時間短縮、教育時間短縮、労働市場の流動化などの結果を生む外圧として導入されました。

教育時間の短縮が、「ゆとり」などという偽善とは裏腹に、労働時間を短縮して国民の支出を増やし内需を拡大させろという外圧に応え、さらに、親が休んでいても子供が休んでいなければ支出が少ないから子供も休ませよう、学校以外で教育に関する出費を増大させて教育市場を広げよう、といった動機に基づいた策であること、つまり、国の未来を左右する教育システムでさえ、外圧に便乗し、偽善の皮をかぶり、いかに国民を食い物にしようとしているのか、ご存知の方も多いことでしょう。

そして、この新自由主義の悪い側面が、それまで国家による計画や規制によって保たれていた秩序の崩壊と、勝ち組負け組の二元論に陥った人々、つまり、国籍を問わず、官民を問わず、勝てばいい、勝ったことにすればいい、と考える人々の引き起こす秩序やモラルの崩壊、ということになります。DEWの運用に秀でた団体であれば、「勝ったことにする」演出は容易でしょう。

権威権力の立場からすれば、民営化された組織や規制緩和によって範囲の拡大した自由市場にその警戒網を張り巡らして権威権力を維持し、利権を拡大したい、民間の立場からすれば、どのような卑怯な手段を使ってでも勝ち組にしがみつきたい、という動機が生まれることになります。

この話を見事に立証しているのが、「日本語では知らされない精神医学の嘘(PDF版)」(HTML版はこちら)で明らかにした、グローバル製薬企業が日本市場に仕掛けた「うつ病キャンペーン」、「精神医療に対する意識改革キャンペーン」に便乗し、客観的検査方法の無い定義のあやふやな病名で“患者”を作り、金の流れを作る、その詐欺システムをお手本に国民を食い物にし始めた医療、医療制度、そしてその金の流れに便乗する、官民を問わない人々の形成する社会システムです。

日本における自殺者数の増大時期と、新自由主義の日本導入時期は一致します。決して卑怯な真似などできない、他人を騙したり見殺しにしたり抹殺したりしてまで勝ち組になりたいとは思わない、そもそも人生を勝ち負けとは考えない、そういう人々が、このシステムに殺されてきたのです。卑怯者だけが生き残った社会がどれだけくだらない社会になるか想像もつきませんが、これを快く思わないながら自分には何もできないと考えている人々が、実は最も多いのではないでしょうか。