「常陸の国風土記 -ある島での少年と少女のやりとり-」


本義だけが意味を成し、本義のみがクローズアップされますように


言語使わなければいいんだ。デフォルトネットワークを休められる。身体が安楽になる。そもそも言語による思考は本物から解離したにせものであり、人々が争う起点だ。神話的に思考するなら、初期における天と地の解離で表現されるものとイコールであり、思考によりがちな自らにとっては、望ましい通過点でもある。「感覚で感受せよ。言葉にはなにもない」である。2004からの自動筆記にみられるものだ