「常陸の国風土記 -ある島での少年と少女のやりとり-」


本義だけが意味を成し、本義のみがクローズアップされますように


北朝鮮と韓国が握手をした今、良いタイミングだと思います!


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以前、このテーマでブログを書いた。もう一度、この点『今の朝鮮人は昔の朝鮮人ではない、異民族だ』について考えてみる。

朝鮮民族はエベンキ・ワイ族なのか?
https://ameblo.jp/recrutarou/entry-12301490661.html
↑現在の朝鮮人(韓国人と北朝鮮人)のDNAと似たDNAを持つ民族は朝鮮半島からまっすぐ北へ向かう中国のエリアに存在する。つまり、現在の朝鮮人のDNAは満州(清国皇帝の故郷)人のDNAにほぼ近いのだ。それゆえ、前回の記事ではラストエンペラー(清国最後の皇帝の話)を持ち出した。DNA的に結論がでているので韓国人が信じている「日本人は韓国人(朝鮮人)だった」という迷信はこれで否定された!!

”【拡散】韓国人・朝鮮人が必死で隠す歴史的事実まとめ(2)”
https://ameblo.jp/clover4honey/entry-12244544459.html
ネットではエベンキ族説が出ていたんだけど、エベンキ族はトナカイを飼育するのです。でも朝鮮半島ではトナカイを飼育する文化習慣が無いので、「エベンキ=朝鮮」はわしの中ではちょっと疑問に思っていたのです。そこでこの「悪魔の門の洞窟」で発見された民族を調べてみると、挹婁(ゆうろう)という中国東北部からロシアのアムール川近くに存在するの民族とかなり近い。挹婁に関してはネットでかなりの情報がでてくるので興味のある人は検索しよう(・∀・)
 現代朝鮮人のY遺伝子もX遺伝子は…高句麗百済新羅・日本と全く関係がない!
現代の朝鮮人と共通項はゼロです。高句麗百済新羅の人たちは、南下してきた侵略者(現代朝鮮人のルーツの人々)から日本に逃げてきた。
 【挹婁ってどんな民族?】ざっとまとめてみた(≧∇≦)

挹婁人は地上に家を建てず、地下に縦穴(竪穴)を掘り生活する。
部屋の中央に置いた尿を溜めた容器を囲んで暮らし、その人尿で手や顔を洗ったという。
挹婁人は養豚が盛んで、豚を主食とし、豚の皮を着物にした。
夏にはほぼ全裸でわずかな布だけで前後を隠したが、冬には豚の膏(あぶら)を身体に数センチもの厚さに塗って風や寒さを防いだという。
爼豆を使う習慣が無く、鼎や瓶や平皿を用いて炊事や食事をする。
毒矢を使用する。
※爼豆とは古代中国の祭器のことです。
 
この挹婁と朝鮮人の生活習慣は、明治時代の朝鮮半島に関する書物「最近朝鮮事情」やイザベラバートの旅行記の記録と一致する…:*:・( ̄∀ ̄)・:*: ルーツを消して他の民族になりすましたり、女性を誘拐したり人喰いに犬喰いもしていた民族って珍しいよね。
---<以上、引用おわり>----


【KSM】韓国人のルーツはエベンキ族 世界最悪の衛生観念がない民族
http://ksmworld.blog.jp/archives/1058614286.html
↑この記事を読むと朝鮮人(韓国人と北朝鮮人)とエベンキ族との驚くほどの共通性がわかる。『言語・トーテムポール・衛生観念のなさ』だ。そして「エベンキ人=穢族(わいぞく)=女真族」という話らしい。穢族は、中国の紀元前五世紀頃の史書に登場し「濊」とも書かれ、どちらも『汚れ』を意味する。つまり、古代の中国人はエべンキ族の特徴を良く知っていて記録に残したのだ。

 

穢族(わいぞく)と女真族は別民族なのだが、上記のDNAの調査から「女真族が現在の朝鮮人のルーツ」と判明している。おそらく韓国の学者は自分たちのルーツを知ってて女真族の子孫のDNAを熱烈分析したのかも知れないな。

新羅のルーツはエベンキ(ロシア)から来た説
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=269432
しかし、313年から314年にかけて、満州地方のフヨ人(高句麗人)が、漢人が支配する楽浪郡を攻撃して滅ぼしたため、これ以降、『三民戦争時代』に突入する。三民戦争時代とは、カラ半島北部の高句麗を支配するフヨ人、任那百済を支配する倭人、そして、旧帯方郡の東部地方に住んでいたが、356年に倭人国家=志良岐(シラキ)を乗っ取り、新羅を建てたエベンキ人(穢人。朝鮮民族の先祖)が、カラ半島の支配権をめぐって戦争を繰り返した時代である。
---<以上、引用おわり>----

↑そもそもが新羅のルーツがエベンキ族だ。地図にしてみると明確!

上記のDNA分析のニュース記事によると「韓国人のDNAは挹婁(ゆうろう)という民族のDNAに近い」ということだ。
Wikiユウ婁
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%82%A6%E5%A9%81
挹婁の言語について、中国の史書は「言語は独異」と記しており[3]、当時の東北アジアの中でも独特の言語を使用していたことがわかる。
ツングース系説…挹婁がのちの女真族ツングース系)であること、比較言語学的研究により粛慎系の語彙がツングース系に近いということ[4]から、古くから支持されてきた説であり、現在では発掘調査による出土品から日用品や居住形態、食生活の連続性が確認されているため[5]、
挹婁は女真の祖先であり、言語系統もツングース系とされる。
---<以上、引用おわり>----

↑ということで「女真族」の朝鮮半島での歴史がカギになる。

朝鮮半島はもともと多民族地域と言われていた。その中で現在の朝鮮人のルーツとなる女真族とエベンキ族が一等民族となったのはいつなのか?まず三国(百済高句麗新羅)時代にエベンキ族の国「新羅」が唐(中国)と手を組み高句麗百済(ほぼ日本)を滅ぼした。この時点で昔の朝鮮人の歴史が終わる!この時、高句麗の王族が日本へ亡命した証拠(高麗神社)が日本にある。

この後の朝鮮半島高句麗が唐(中国)領となり、新羅百済を吸収し朝鮮半島の南半分が新羅となる。高句麗滅亡後約100年間はこの形になるが、朝鮮半島の実質的な統治が形骸化し、朝鮮半島に数え切れない数のヤクザが乱立する状態になった。この状態を示しているのが「後百済」や「後高句麗」の誕生だ。特に「後高句麗」を建国した弓裔の人生を調べると面白い。弓裔は自称王子w 彼は自分の肌に合うヤクザ組織に入り、その後、どんどん勢力を拡大し後高句麗を建国した。しかし、王建(満州人)がクーデターにより粗暴な振る舞いの弓裔を追放し、さらに「後百済」を滅ぼし朝鮮半島を統一し、「高麗(918年 - 1392年)」を建国した。

もともとエベンキ族は朝鮮半島では少数派だったが(つうても新羅なんだが)、王建(満州人)が建国した「高麗」からエベンキ族が朝鮮半島全体へ侵食していった。


Wiki 高麗-帰化
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E9%BA%97#.E5.B8.B0.E5.8C.96.E4.BA.BA

高麗(こうらい、ハングル:고려;[koɾjʌ]、918年 - 1392年)は、918年に王建(太祖)が建国し、936年に朝鮮半島の後三国を統一し、李氏朝鮮が建てられた1392年まで続いた国家である。
・・・
高麗時代前時期にかけて異民族が帰化し、23万8000人に達するという説もある[36]。あるいは、契丹が滅亡して契丹人が各地に散る時に、高麗に入って来て暮らした契丹人は100万に達するという記録もある[37]。・・・女真族は北方情勢を情報提供したり城を築いたり、軍功をたてて高位官職になった者もいる。李氏朝鮮を建国した李成桂は東北面出身でこの地域の女真族を自身の支持基盤とした。
---<以上、引用おわり>----

Wiki契丹
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%91%E4%B8%B9

契丹(きったん、キタン、キタイ、拼音: Qìdān)は、4世紀から14世紀にかけて、満州から中央アジアの地域に存在した半農半牧の民族。10世紀初頭に現在の中国の北部に帝国を建国し、国号を遼と号した。しかし12世紀に入り次第に勢力を強める女真が宋と結び南下し、挟撃された遼は1125年に滅ぼされた。契丹人の多くは女真に取り込まれ
---<以上、引用おわり>----

高麗時代に異民族が続々と官僚になるありえない政策が採られていた。まさに敗戦直後の日本の政治のような状態。さらに、高麗時代に契丹は滅亡し契丹人の多くが女真族に取り込まれていた。つまり、「高麗に入って来て暮らした契丹人は100万に達するという記録もある」とは恐ろしいことを言っているわけで、高麗は契丹人に乗っ取られたことを意味する。しかも契丹人のご主人様は女真族だという構図だ。

李氏朝鮮を建国した李成桂ですら女真族。高麗時代の文化的劣化はまだひどくなかったはずだ。というのも漢族の官僚がいたから。問題は李成桂だ。彼は高麗の政権打倒を御旗に高麗を倒し李氏朝鮮を作った。高麗では仏教が重んじられていたが、李氏朝鮮はその真逆の仏教廃絶を推進した。その結果、李氏朝鮮以降から完全に朝鮮人の先祖がえりが進んだ。
歴史的経緯を見ると朝鮮人のルーツは李氏朝鮮で固定化され、その内容は女真族契丹人とエベンキ族ではないかと思う。

ちなみにエヴェンキ族の「トーテムポール」だが・・
『高麗神社 在日本大韓民国民団から寄贈された将軍標。真ん中の木は、韓国の国花「ムクゲ」なのだそう。将軍標(しょうぐんひょう・ジャングンピョ)は1992年に在日本大韓民国民団埼玉県地方本部によって木製のものが奉納された。破損し腐食したので、2005年に現在の花崗岩で制作されたものが今度は中央民団により寄贈された。将軍標は西武池袋線高麗駅の広場にも。』

http://blog.goo.ne.jp/bb-danwa/e/d74e87c5836a54fea22a60fa436169e3

みなさん、「韓国と北朝鮮関係者が慰安婦問題などの歴史捏造を本格的に始めたのが1992年からだ」と本ブログに書いた。この1992年に歩調をあわせるように民団がエベンキ族の象徴である「トーテムポール」を高麗神社に寄贈していた。

上記の歴史的事実を見れば、昔の朝鮮人と全く関係ない現在の朝鮮人たちが「自分たちは昔の朝鮮人だ」と誤解し高麗神社にトーテムポールを寄贈したことになる。
この「トーテムポールの寄贈」そのものがエベンキ・ワイ族の発想でありお笑い草だ!それと共にこの「トーテムポールの寄贈」は歴史捏造を繰り返してやまない現在の朝鮮人(高麗以降の異民族)のゆがんだ感覚がよくわかる出来事だ。


保守派の人たちは上記の歴史的事実を理解し単刀直入に陛下のご参拝を批判しないでほしい。
今の朝鮮人は昔の朝鮮人とは無関係の異民族であり、陛下が昔の朝鮮人の神社にご参りになられることは「昔の高句麗の人たち」に想いを寄せているご行為だということを理解してほしい!


​​​​​百済高句麗を滅ぼした新羅のルーツはエベンキ族であり、この後、高句麗の名前を真似て建国した高麗は満州人と契丹人(背後に女真族)とエベンキ族の国であった。彼らは昔の朝鮮人とは関係のない異民族であり日本と天皇家の仇敵というわけだ!!

[日本人が知っておくべき歴史]

刀伊の入寇(1019年)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%80%E4%BC%8A%E3%81%AE%E5%85%A5%E5%AF%87
女真族満洲民族)の一派とみられる集団を主体にした海賊壱岐対馬を襲い、更に筑前に侵攻した事件。刀伊の来寇ともいう。

高麗の王がモンゴル皇帝に元寇(1274年、1281年)をそそのかした(高麗史より)
http://blog.livedoor.jp/slice_cheese/archives/51047920.html
『思いますれば、あの日本は、未だに元皇帝様の徳による導きを受けていません。それ故に詔を発して、軍容を整えて、戦艦兵糧 を用いましょう。もしも、この事を臣である私に、お任せくだされば、心力を尽くし励み、そして王師を、微力ではありますが、お助けしたいです。 』

偽装倭寇
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD%E5%AF%87#.E5.81.BD.E8.A3.85.E5.80.AD.E5.AF.87
中枢府判事の李順蒙による上申文記載。『世宗実録(世宗二十八(1446年)十月壬戌条)』の記述には「倭人不過一二而本国之民仮著倭服成党作乱」[(※翻訳)倭人は1、2割(または1、2件)に過ぎず、本国(朝鮮)の民が、仮に倭服を着して党を成し乱を作す]とあり、前期倭寇もある時期からは、高麗人または朝鮮人が主体となっていたことが窺い知れる。 (朝鮮王朝実録の『世宗実録 』114卷二十八(1446年丙寅)十月壬戌条)