「常陸の国風土記 -ある島での少年と少女のやりとり-」


本義だけが意味を成し、本義のみがクローズアップされますように


基本的に、

思考・意識・無意識に淀み・悪想念があると、それが良想念より強く影響すると考えられる。

全てであり一なる存在であるフラワーオブライフ(個人的には、ドットちゃん=一次元=点=1997/12中旬に死んだ受け入れても受け入れてないとされる憎むべきボク=神)の中で、自らの意思で進みたい=現出させたい=働かせたいならば、まず自らの悪想念を清算する必要があると橋浦はとらえる。

それが199712から橋浦が追ってきた、「自らが死んだときにとらわれごとに影響されて、その時に自由意思で選択できないことから抜け出す道」であり、全てがある一なる世界フラワーオブライフの中で、導かれるような、思ったようになるような世界に入る道だと考える。今思うなら、これができないことが、ゾンビ=自らで自らを決定できないことになるのだと再思考する。

橋浦は、死んだ昔のボク=自分=一次元の点のような小さなつまらない存在=否定した神=全てを含む一次元、を受け入れる件から、サワー式白黒ミクの流れの中で、ドット式ミクを紡ぎだし、再度自らを昇華させていった。

1998?位から、

自らを「永遠昇華の螺旋」として、認識し直している

色々知った今思うと、俺はすごいやつだな。最初に辿り着いている。

おわり