「常陸の国風土記 -ある島での少年と少女のやりとり-」


本義だけが意味を成し、本義のみがクローズアップされますように


記事転載:GHQが焚書で「日本古代オリエント交流説」を隠滅した理由 日本人についての誤解を解く

12 /092017


近代に西洋人が日本に来た際に、明治天皇に拝謁して、「日本の天皇とその周辺に仕える人たちは中東人ではないか?」と言ったというのは有名な話です。また、英国の外交官であったラザフォード・オールコック (1809ー1897) は、日本に赴任して、日本人の文化について、以下のような見解を述べました。

日本人の生活、法律、習慣、制度などはすべて、一種独特のものであって、必ずはっきりと認識できる特性をもっている。中国風でもなければヨーロッパ的でもないし、またその様式は純粋にアジア的ともいえない。日本人はむしろ、ヨーロッパとアジアをつなぐ鎖の役をしていた古代世界のギリシア人のように見える。

ラザフォード・オールコック



2016年10月に薨去された三笠宮崇仁親王は、福岡の名島神社においでになった際にここから出土した金の瓦を見て、古代オリエント(中東)文化とヘブル語の研究を始められ、その後は日本オリエント学会名誉会長に就任されました。名島神社の境内からは、金の冠がバラバラになったものと金の指輪も出土し、それは宗像神社の沖ノ島から出土した指輪とそっくりであったと言われています。 

 

近年、埼玉県稲荷山にある1500年前の地層から、古墳と非常に状態の良い黄金の冠や装飾品、鉄剣などが発見されました。ここで発見された紀元後4世紀の雄略天皇と思われる大王(おおきみ)の遺品の中で、鉄剣が存在します。「関東王国・日本」という番組の中で、この鉄剣の柄の部分のデザインが紀元前のメソポタミア文明で流行した「パルメット文様」という世界最古の植物文様であることが指摘されています。

メソポタミア文明というと、シュメール、バビロニアアッシリアなど多くの国の興亡の歴史があります。楔文字を使用したシュメール人(民族系統不明)の都市ウルの場所は現在のイラクに当たります。人類最古の文明を気づいたシュメール人の文化は6000年前頃から発展し、最後の王朝となったウル第3王朝は、紀元前2000年頃に遊牧民のアムル人がシリア砂漠からメソポタミアに侵入し、滅んだとされています。古代シュメールの粘土板の解読から、その数千年以降に出来たとされるヘブル人(ユダヤ)の旧約聖書の原型と思われるノアの箱船に似た洪水の神話などが知られています。 



(こちらは、埼玉県で発見された獲加多支鹵大王(雄略天皇、ワカタケル)の名前が記されている鉄剣です。)

日本の天皇や一部の日本人のルーツがオリエント文明かもしれないというのは、アメリカ主導の占領軍GHQにとって非常に都合の悪いものだったため、大山祇神社の元宮司であった三島敦雄氏が書いた「日本人オリエント交流」説を提唱した「天孫人種六千年史の研究」という本を全て探し出し、廃棄させました。

天孫人種6千年の歴史

現代の日本人には、日本人がオリエントと行ったり来たりして交流したという説のどこが危険なのかわかりにくいですが、もうすぐつながりますので我慢してください(笑)。ただの娯楽目的の「トンデモ」な内容ならば、GHQ焚書にして抹殺する必要はないのです。敏感な方は、シュメール文化の場所が「今のイラク」というところでピンと来たかと思います。

八切止夫氏が書いた「天皇アラブ渡来説」という本によると、三島氏の「天孫人種六千年史の研究」は、昭和11年以降に100万部近い超ベストセラーになり、昭和10年代には、帝国陸軍大学と陸軍士官学校の課外読本に採用されていたということです。そして、「ペルシャ作戦」、「アラブ侵攻計画」といった机上のシミュレーションもされたとも言われています。三島氏の説によると、日本建国の中心となったのはシュメール人であったが、日本にはポリネシヤ族やツングース族、クメール族などの民族が先に渡来していたとしています。これは、古事記の「天津神」(天孫族)と国津神出雲族などの先住民族)の国譲りや婚姻の記述とも合致します。この本では、古事記に出てくる地名や人名とシュメール語の意味の解説などが交えてあり、説得力があります。(縄文の漆文化は12600年前からありましたから、シュメール文明のはるか前から日本に文明がありました。)

天孫人種六千年史の研究」 三島敦雄著
http://hexagon.inri.client.jp/floorA3F_hb/a3fhb301.html
本のダウンロードは、こちらから
http://iyasaka369.blog.fc2.com/blog-entry-1.html
焚書にされてほぼ日本人の記憶から消し去られかけていた貴重な資料を公開してくださった方々に感謝いたします。



アメリカ占領軍が「この本は日本人に知られて困る」と思ったのは、日本のアラブ進出やアラブ諸国支援の可能性です。西欧ユダヤ・キリスト系社会は、イスラム文化圏と侵略されたり、十字軍のように攻めいったりという対立を繰り返してきました。また、宗教的な対立だけではなく、近代では資源を巡る戦争にもなっています。

戦後、アメリカなどの諸外国のユダヤ人のバックアップによって、イスラエルという新しい国が成立して、中東は再び紛争地域になりました。しかも、現在のイスラエルには、古代ユダヤ(ヘブル)人だけではなく、先祖がユダヤ教に改宗した出自の違う民俗の子孫も住んでいるので、古代のユダヤ民族と同じとも限りません。そんな複雑なところで、日本がアラブ側に味方したり、進出したりするのは、現代であっても非常に都合が悪いということです。

(日ユ同祖論というのも存在しますが、旧約聖書の創世記にアブラハムとその父のテラがシュメールのウル出身だという記述があるため、聖書の民のルーツがシュメールにある可能性はありますが、その話はまたの機会に。)

仮に、「日本人オリエント交流説」に今の日本人が目覚めてしまったら、どういうことになるでしょうか。イラクやイラン、シリア、エジプトなどに対する日本人の対応は、変わる可能性もあるのではないでしょうか。(今、そこに住んでいる方々とは多少、民族は違っているかもしれないにしても)例えば、力の強い国(⬅️察して)に促され、日本人の一部と天皇のルーツがあるかもしれない地域に自衛隊を送らなければならなくなったら…(もう送っちゃったけど)

先のイラク戦争で、イラクにあるメソポタミア文明の遺跡群の数々が破壊されました。日本人が中東と行ったり来たりして交流していたことが分かってしまうと(ルーツは一つではない可能性が強いにしても)、今まで「対岸の火事」であったことが、身近なことに変わってくる可能性があるのです。

こちらが、イラクにあるオリエント文明の遺跡の一つ。

イラク神殿

そして、こちらが、出雲大社の原型を再現した図です。

出雲大社再現図

以前、明治天皇の玄孫で作家の竹田恒泰氏がイラクの大学に留学していたと聞いたことがありますが、これも偶然ではないはずです。フセイン大統領がつけていた十六菊花の紋章についてある記者が記者会見で聞いたところ、「これは我が国の祖先が世界最古の文明を築いたシュメール王朝時代に用いた王家の紋章である」と答えたと言う逸話が残っています。

(おそらく)日本から出て「オリエント文明から戻ってきた人たち」と他の民族が混ざって私たちが日本人となっていった、と気づくことは、実は世界の政治的なバランスを根底から変えるほどの威力があることです。もしかすると、西欧世界とイスラム世界の戦争や対立を止められるかもしれないほどのパワーがあります。日本人は地震の時に、世界の人々の心を動かした様に人の心を変える力があるからです。