「常陸の国風土記 -ある島での少年と少女のやりとり-」


本義だけが意味を成し、本義のみがクローズアップされますように


日本書紀(改ざん?)と藤原不比等

藤原不比等の家系図からみる奈良時代の日本の政治 | 歴史上の人物.com

 

藤原不比等とはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】 | 歴史上の人物.com

 

不比等が歴史を捏造する「日本書紀」の真実を見抜くことの難しさ、 - るいネット

不比等が自らに課した政治的使命は、草壁、軽(文武)、首(聖武)の三人の皇子の擁立であった。擁立と言って即位と言えないのは、草壁は即位前に二八歳で亡くなっており、軽(文武)も即位はしたもののわずか二五才で亡くなり、首(聖武)の場合は、その即位を待つことなく不比等自身が没したからである。天の与えた試練であろうか。不比等にとっての現実は、常に幼い皇太子と中継ぎの女帝であった。いつか、この幼い皇太子が立派に成人し、即位して欲しい。それを頼りなげな中継ぎの女帝に託さねばならない。その祈るような気持ちを文字にしたのが『日本書紀』の推古女帝と聖徳太子だったのではないか。
 同時に、蘇我馬子という現実を排除し、遠く高天原にいたる万世一系の論理を構築する。これにより、歴代天皇の神性を確保する。そして何よりも、これからのち万世一系の未来は、藤原氏の娘たちの生むことになる子孫である。不比等の場合は、何とも表現しつらいが、男親こそ借り物なのである。藤原氏の娘が天皇の子を生む。やがて、その子が天皇になる。これを繰り返せば、天皇は完全に藤原氏の一部になる。その論理を 『日本書紀』において確立する。そこで確立した価値観を未来永劫につなげる。恐ろしいというか、なんとも壮大な不比等の野望である。

 

 

日本書紀がどのような目的で編集されたのかが、はっきり見えてこないと、聖徳太子が虚像人物であったとしても、何故虚像人材が必要であったのか。蘇我馬子は絶大な権力を持っていたが、100年以上前の歴史を変えてまで、蘇我馬子の存在を小さく見せる必要性は何処のあったのか。

 

 

藤原氏百済系なんです

古事記・日本書紀について 2 - 「真実の古代史」 by サイの尾・猿田彦

 藤原氏は嘘も百回つけば本当になる、と言ったので、百の嘘を探しています。

1  百済の言うことは嘘が多く信用できない。新羅天皇家に忠誠である。これが真実である。
 「日本書紀推古天皇新羅征討の再開」で田中臣が言う。「そうではない。百済は度々豹変する国である。道路の区間さえも偽りがある。およそその言うところは皆信じられない。百済任那をつけたりすべきでない」とある。新羅王は「任那は小さい国でありますが、天皇につき従い仕える国であります。どうして新羅の国が気ままに奪ったりしましょうか。今まで通りの天皇の内官家と定め、心配なさいませぬように」といった。ここに書いてあることはほぼ改ざんがないと思われる。