「常陸の国風土記 -ある島での少年と少女のやりとり-」


本義だけが意味を成し、本義のみがクローズアップされますように


しかしいくら純粋でも、その価値観の根本が独善的では届かないのではないか?

また人によって、他人にやらせ自分達は違うと述べている、そのような全てが遠ざかる要因ではないか?

資本の多寡ではなく、自らよりも相手や周囲をまずおもんばかる損得なきあり方ではないか

そう思う次第