「常陸の国風土記 -ある島での少年と少女のやりとり-」


本義だけが意味を成し、本義のみがクローズアップされますように


エス=キリストの十字架状態は、タリズマン(ヒトガタによる身代わりとしての除磁=電磁集約)との幾何学的な見方を最近していて

これが成り立つ場合

1999年辺りの、太陽系グランドクロスは、宇宙規模での太陽系への電磁集約だった可能性がある。そして2000年間(重要なのは最初の80年間)の、太陽系が属する天の川銀河中央からのフォトンベルト帯に地球は突入した。フォトンとは光子のことである。光とは(アナログ)電磁波のことでもある。26000年周期の中で、このタイミングで人類滅亡が起きたことも多かった。フォトンベルトはイメージが顕現しやすい具象空間とも考えられる。なにも知らないまま突入すると、唯物論的自己中心思考のまま、まっ逆さまに落ちかねない。故に太陽系隔離(ソーラーウォーデン)という呪詛をかけ(られ)た。外部からも干渉されにくいように。私たちは簡単に地球外の様々と交信しにくいようにもさせられていた。しかしこの状況を利用して自分達にだけ都合のよい世界を作ろうとするものもいた。ほとんどの者はなにも知らないままに。精神的監獄に閉じ込めたように

私たちは聖書一神教的思考の産まれた時から罪がある(原罪)存在ではなく、太陽系に集約された様々な電磁を浄化するための存在との見方もできる。現代聖書忠実主義とは、人間は最初から罪ある存在なので、周りと断絶された地球という監獄にいれておけにつながる考え方なのである

本当の話は常識には現れてこない

私たちは西暦0-400年にローマエリアで流行ったグノーシスのような、「肉体がある限りこの世は監獄である」から次元を越えて、自らを光になるまでまず高めるべきだと直観する。光になるとは、橋浦的には五次元のことで、すべてと交流できるゾーンのことである。人間は元々光である。光の周波数体の存在といわれ、固体化したような光である。三次元の思い込みやとらわれをまず解放してあげることが第一歩と考える。あなたは自らを創造できるのである。

ちなみにエーテル体に、光を流し込む想像をしたら、眉間に、グノーシスのいう閃光が走った。

自ら切り開く第一回目は信頼できる。それ以降のリスクは高い。なぞるなんて安心の信用性が低い。

車輪の再発明で構わないので自らフロンティアを進むべきである

危険ななかで、すでに説明済みのことを追体験しなくてもいいはず 

自ら切り分けて、必要不要を考えてください

十字を描くだけで、そこに移せたりもするわけですから。こちらは安心だね