「常陸の国風土記 -ある島での少年と少女のやりとり-」


本義だけが意味を成し、本義のみがクローズアップされますように


俺は ハトホルレベルにない(集合意識ハトホルに安定して存在できない)と自己認識できた時点で、安心な存在になったんだよ

何故なら、俺はある本で言えば「知識」「勇気」「愛」のうち「愛」を発する存在として未熟だとわかったのだから、

未熟でも「愛」を発する傾向を強める。つまりそちらに方向エネルギーを向けることが確実だからだ

しかし愛とは母性的愛もあれば父性的愛もある。無条件な愛もある。

ということなんだよ

誰になにでどう向けるかであって

結局、根底に信頼が必要なんだよね