「常陸の国風土記 -ある島での少年と少女のやりとり-」


本義だけが意味を成し、本義のみがクローズアップされますように


常識とは

人間が光(可視光)の領域に済んでいるということ

常識は多数を陥れられる型である

あなたの霊は電磁であり、スペクトラル的にどこにでも存在し得る

さらに言えば

人間の体は、通常頭首体腕足ひとまりの認識だが、X線レベルでみれば、すかすかの穴だらけでもある そのすかすかの間にあるそれぞれを別々のスペクトラルに存在していると認識することも可能である

またひとつひとつ決めないで、シュレディンガーの子猫よろしく観察しないで無限の可能性におくことができる。簡単に言えば、大雑把にそうだと思うだけでよい。このシュレディンガーの子猫の法則をなぜか教科書などで、「生きているか死んでいるかの二元論」に置いてしまっている。このような基礎的認識の誤りを様々な本であえて書かされている

皆さんは何となく本を読んで騙されているだけなのである

シュレディンガーの子猫は観測しなければ無限の状態にあるわけだから、デジタルのような二元意識周波数に自らわざわざ行く必要がない。