「常陸の国風土記 -ある島での少年と少女のやりとり-」


本義だけが意味を成し、本義のみがクローズアップされますように


メモ

本人に空間位相重ねして、アンドロイド的に、奪った本人情報が既にある状況で、なんらかのタイミングあわせをしている。

そこに重なった別人物の編集可能な優先単語などの脳思考辞書を利用して、本人が仲間内であるかのようにみせかけてくる。これを橋浦のところでは「プラトニックではない」という言い回しで使われようとしていた。つまり「一方通行ではない」とみせかけようとした。

橋浦は誰かにナニカを押し付けたことはなく、また自分は○○だなどと言ったこともない

本人が寝ている間に、本人みなしのやりかたで、通称「うなづく」という一方的な本人権限を利用されており、それでもって本人のエーテル体への脳認識変更をかけられた。それはハートを奪ってからでないとできないこともある。

ハート磁場は広大なのだが、ハートの奪いには、ある回転系(つまりお店のよくある換気扇のふたをあけた中)が橋浦の際には利用されており、それでもって、橋浦と通称「友達」つまりは仲がよいとみなしたボイス存在を干渉させてハートにとりついてきた。

また、上記を前提に首裏(喉オーラ)からハート・口内につなげ、つまり人体縦のジグザグで言葉の現実化をはかった。

認識の変更(本日は首裏めがね(ターゲットに作成されたエーテルが、人工めがねをつけた人には見える(自らが思い込んだものかは不明)。つまりはエーテル的に本人がそう思い込めばなのだが。ここでは目のレベルでしか述べていない)

現実認識の変更(人体レベル・地球レベルなどがある)

は別な言葉であり、

簡単に言えば、生体内のエーテルから人体に対する影響の与え方の、脳認識とも言い換えられる。

本来のあり方はしらないが、これだけのいいまわしで、「なっている」と思い込ませることができるともいえる

簡単にいえば、あなたがそう思っていればそうなるなのがエーテルの世界のルールで、見えないエーテルに(イメージで)鏡を当てたり

、第三者や別な自分に観察されれば、それはないとみなされる。なぜならエーテルの世界は基本に忠実で、おかしなものはおかしいとみなされるからだ。しかし圧倒的多数がそうだとみなせば、その現実世界では、それがルールにもなりえてしまう。しかし、圧倒的多数がみなすとは、地球の中だけの話なのか?ともいえる。

地下閉鎖空間の特殊素材(通称風船)につつまれたターゲットは、そのなかは独自世界ともみなせる。みなせるとは、そういう風に考えることもできるであり、虚数の世界ともいいかえられる。

人間の美徳に素直さがあるのだが、皆がルールを守っている性善説の世界の住人に、このようなものをいきなりぶつけて支配体系を確立しようとしたともみなせる。また橋浦から言わせれば、社会・文化・文明・始まりと終わり、全てがとらわれである。「なにものかにならなかった」は小さなとらわれでしかない。なにものかになどならなくてよい。あなたは自由なイメージに羽ばたける。普段から意識したくなければ、あなたのありかたがあなたになるでしかない。また他人に任せていると勝手に変更されうる。少なくとも都度都度自らをみつめなおすことが、あなたがあなたであるために必要に思える。現状では。

とらわれから抜け出すことが、このありかたの本質的あり方。つまり本質を見抜く生き方といえると思う。

Wed, 30 Sep 2020 04:31:15 +0900

wrote:Mitsuhiro Hashiura(橋浦 満広)

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