iとはなにか?-自らのあり方で決まる-

自分を通常最小単位である自ら一人とした場合、その自らをどこまで信じていけるかがポイント。嘘・騙し・騙されのない"シンプルな本質"に立つことがスタートとなる。

1.あなたは「エネルギー存在」でもあります。
2.あなたが知覚しなくても、意識しなくても、存在するものごとがたくさんあります。それを信じるために、あなたはあなたを信じられる絶対量を深めるのです。
3.アストラル体(感情体)・肉体・(エーテル体)が、物質界での受肉された範囲です。受肉された範囲以外の、より高位の霊体の認識を深めよう。
4.現実認識(リアリティ)とは、あなたの脳がそう解釈(認識)したこと。脳は物質的とも、電磁場的とも、その両方とも、それ以外とも言えます。
5.愛とは、それ自体にこだわることではありません。私たちの住むこのオーム宇宙の根源テーマが"愛"です。アガペーです。
6.自分を最初に守らないで、知らない誰かを助けてみよう。自分を最初に守っている限り、あることに気がつけないのです。"自己犠牲"
7.ある程度以上の"知識"は必要と思われます。そんなに難しくはありません。
8.予測されうること以外、普段と違うことをたまにはしよう!気がつく時がきます。


◆πνευμα (プラウマ)
意識に入る前のオートメーションに 影響を与えられるのは 自らのπνευμα(プラーナ=気息)だけである。息とは口や鼻からするものだけとは限らず、あなたの霊体において、神聖な気息(カー)を行うことも可能。またそのようなものはないと思うことも可能。あなたはあなた一人と考えるか、どこまでを範疇ととらえるか、常識に縛られず、全てを手放すことも可能。そもそもカタチなどあったか?

◆π魂/b>
魂は存在します。魂に意味づけ・カタチは不要です。

◆π三体構造/
もうすぐ木星が恒星化しますが、三体構造に改めて思いをめぐらしています


◆カルマの解消
"繰り返している悪いこと"をカルマの定義とした場合、その解決をすることが人間に与えられている役割といわれています。また人間とは、「深く考える」「創造する」ができる唯一の存在とも言われます。それらが奪われているとしたら、人間が行うべき責任を果たさずにいることこそが、現在のことの本質だと私は考えます。

記事転載:聖書のみことば100%で生きていれば、サタン・悪霊に絶対に勝てる

https://ameblo.jp/sasuke-memo2/entry-12337828633.html

*最後まで目を通すと、分からなくても、言いたいことがきっとわかるはずです。

 

聖書のみことば100%で生きていれば、サタン・悪霊に絶対に勝てる

 

エンドタイムス(世の終わり、マタイ13:39)なので、どのクリスチャンもどの教会も、霊的な戦いの技法を学ばなければ、サタン・悪霊にやられっぱなし、負けっぱなし、奪われっぱなしになると思います。

私は、クリスチャンになってから、15年ぐらい、ほぼ、やられっぱなし、負けっぱなし、奪われっぱなしの人生を歩んでいましたから、その大変さはよくわかっているつもりです。家族ですら奪われることがあります。私の名前で検索すると出てくるネット炎上の名残などは、その負けっぱなし、奪われっぱなしの状況証拠のようなものです…。

 

残念ながら、ほぼすべての教会では、霊的な戦いのことを教えていません(ー ー;)

 

◼︎100年単位でサタンが作り変えてきた教会運営の仕組み

 

これには、キリスト教会史とパラレルに動いてきた、サタンによる教会制度、教会運営システムへの「仕込み」が効いています。

以前にブログで何度か、悪霊の追い出しに関するカトリック由来の技法が、ルターの宗教改革の後、100年ぐらいまでは、牧師必携の礼拝要項に記載されていたということをご報告しました。文献でたどることができる事実です(ここの脚注の13番参照)。これがその後の100年ぐらいをかけて、記述がごっそり削られてしまいました。この100年という期間をかけて、自分(サタン)の手下(悪霊)がイエスの名で追い出されることに関するノウハウの伝承を断ち切ってしまうのが、サタンの狡猾なところです。この間、記述の削除に関わった礼拝要項編集委員会の各人は、自分がサタンの影響を受けているとはまったく思いません。そういうやり方をするのがサタンです。社会のシステムや教会の運営方式に、そういう風にして入り込んで、100年200年かけて、自分たちが影響力を振るいやすい環境に作り変えてしまうのです。

 

使徒行伝やパウロ書簡に描かれている初代教会の姿は力強いです。あの教会の根源的な力強さが失われてしまったのも、100年200年かけて教会を作り変えてしまうサタンの巧妙さのゆえです。異言の祈りが失われ、預言はなくなり、霊を見分ける賜物はゼロとなり、全員が霊的盲目になり、周囲に悪霊がいても誰も気づかず、サタンが横行することを許し…というような具合です。

 

◼︎日本の多くの教会が悪霊の追い出しを教えるようになるまで数年

 

しかし、そのことが、今は、プレーンに客観視できる時代になったので、よいのです。こういうことを書ける世の中になっています。

 

ただ、書けるのと、現実にほとんどの教会で、霊的な戦いのやり方を教えていない、霊的な戦いのサブカテゴリーである悪霊の追い出しについて教えていないという事実とは、まったく別の問題です。

 

私は、日本の多くの教会で、普通に悪霊の追い出しに取り組むようになるまで、あと数年はかかると思っています。その間に、どんどん、エンドタイムスは進行します。エンドタイムスは待ってくれません。そこでどうするかです。

 

◼︎教会員や牧師が個々に霊的な武装をする

 

手としては、教会・教団本部まかせにせず、個々の教会員・牧師レベルで、霊的な戦いの心得を学び、悪霊の追い出しの基本を学んで、個々に、課題に対処するということ。それが正道かと思います。

 

個別教会で教えていようがいまいが、上に記したような、教会制度全体において悪霊の追い出しに関するノウハウが伝承されない歴史が400年続いてきたので、それはそれとして放っておいて、各自が霊的に武装する。それこそ、エペソの最終章にあるように、第一ペテロ5章にあるように、各自が血肉ではないものに戦うための武具を取り、戦いの構えを作って、敵に臨む。敵とは、サタンか悪霊です。

(教会内の立ち位置としては、教会に所属している自分ということを尊重する。教会の指導者や兄弟姉妹とはこれまで通り仲良く交わる。けれども、霊的な戦いの戦士としては、しっかりと自分の足で立つ。そして助けが必要な人を助ける)

 

◼︎聖書のみことば100%で生きると決心する

 

これを行う際に、最短距離で強くなるための方法を記します。自分でやって確かめたものです。悪霊の追い出しにも効きます。自分に対してでも、他者に行う場合でも(注意!悪霊の追い出しはノンクリスチャンの人にはやらないのが鉄則です。理由は長くなるので別な機会に記します。この知識はほぼすべての教会で共有されていると信じています。使徒19章参照)

 

最短距離で、サタン・悪霊に対して強くなるには、「聖書のみことば100%で生きる」と決めることです。

そして、それを実践します。

 

初代教会のまんまのクリスチャンライフがあるべき姿です。あの頃は真面目にみんながみことば100%で生きていました。異言で祈るは、預言は教会の中で普通に活用されていたは。奇跡が得意な教会員がごろごろいるは、癒しは当たり前のように行われていたは。そういう感じです。

こういうなかでは、たとえ、誰かに悪霊が入ったとしても、イエスの名で、「なんとかの霊、イエスの名によって命令する!出て行きなさい!」と言うだけで、出て行ったはずです。

 

みことば100%で生きていると、悪霊の親玉であるサタンにしても、悪霊にしても、その人に絡むためのとっかかりが一切ありません。天の法廷という言い方がありますが、端的には、ヨブ記で描かれている天の父とサタンとのやりとりが行われている場面・場所ですね。そういう天の法廷で、サタンが、その人のことをああだこうだと訴えて、自分が攻撃してもよい余地を天の父に認めてもらっています。みことば100%で生きていると、そのとっかかりがないので、言い換えれば、天の父に訴えるための証拠がないので、イエスの名で命令するだけで、すぐに引き下がるのです。イエスの名による命令にサタンが全的に従わなければならない状況になっているのです。みことば100%で生きていると。

 

◼︎みことば100%で生きていないと、負けっぱなしになる

 

これが、パウロ書簡のある部分はクリスチャンライフに取り入れるけれども、預言はスルーする、異言では祈らない、預言も異言も教えない、まして奇跡はタブー…という具合だと、もうダメです。アウト。悪霊にはいじられっぱなしだは、サタンが家に入り込んで我が物顔に振舞うは。もうやりたい放題です。しょうがないのです。神のことばをないがしろにしているんですから。

 

私が経験した事例では、みことば主義を掲げている教会が、パウロ書簡の御霊の賜物のうち、預言を封じていました。教会員には預言することを禁じていました。かといって牧師先生が預言をしていたわけでもありません。おそらく、牧師養成学校において預言が教えられなかったか、その牧師の個人的な事情で預言に取り組むことができなったか。いずれにしても教会員が預言をすることは禁じていました。そこがサタンに足場を与えていたのですね。結果として、霊的な盲目がありました。悪霊の追い出しには形式的に取り組みはするものの、教会員から悪霊が追い出されることはなく、私なども悪霊がいずっぱりのままで、ネットで検索すると出てくるような私の恥となる過去が展開してしまいました。あの時に私に働いていた悪霊はすごかったです…。いくつもいました。

 

話を戻します。神のことばは、契約のことばでもあります。私ごときが言うまでもありませんが。すべての神学校で牧師の方々は教わっているはずです。聖書のみことばは、契約のみことばであるということを。

 

この契約のみことばを、ある部分は取り入れ、ある部分は目隠ししていたら、その契約を自分から破っていることになります。すなわち、イエスが十字架の犠牲とよみがえりによって達成した新しい契約のすべての恵み、祝福、勝利に与ることができません。

 

よって、サタン・悪霊に、やられっぱなし、負けっぱなし、奪われっぱなしになります。教会内にある個々の信徒の大変な状況はすべてそういうことです。牧師自身ですら、自分を守るのに大変だという状況もおそらくはあるでしょう。それもこれも、すべては、みことば100%で生きていないからです。

 

◼︎みことば100%で生きて、初代教会の力強さを取り戻す

 

答えは簡単です。今日から、みことば100%で生きるだけです。初代教会のようにやればよいのです。おどろくべきことに、これにお金は一切かかりません(イエスがすべての代価を支払い済みですから)。決意があるだけでよいのです。

まず、異言で祈ることからでしょうか。僭越ながら、聖霊バプテスマを行っていない教派・会派の方々におかれましては、エンドタイムスの特殊状況に鑑みて、例外的に、自分自身で聖霊バプテスマをいただくやり方を試されることをお勧めします。米国の著名な牧師の前例があります(福音派だったので異言を教えていなかった→聖書を頼りに一人で異言を出した)。そのやり方については、こちらで記しました。他にも、異言を採り入れている教派・会派からノウハウを伝えてもらう手もあるでしょう。

 

異言で祈れるようになると、パウロ書簡の御霊の賜物すべてにアクセスルートが開かれます。

 

それによって、サタン・悪霊に勝つための、霊的なアイテムに関する、霊的な理解ができるようになります。

サタン・悪霊は霊ですから、これに戦うためには、自分も霊的にならなければなりません。すなわち、クリスチャンにおいて霊的になるとは、聖霊様と深く交わるということです。そのためには異言で祈る。一にも二にも、それあるのみです。

 

これで明日からの、主イエス・キリストにある霊的な勝利は間違いなしです!

ハレルヤ!

 

写真はフランス・チノンにあるジャンヌ・ダルク

Elliott Brown

あなたが知覚しなくても、意識しなくても、存在するものごとがたくさんあります。
それを信じるために、あなたはあなたを信じられる絶対量を深めるのです。