「常陸の国風土記 -ある島での少年と少女のやりとり-」


本義だけが意味を成し、本義のみがクローズアップされますように


コメント欄転載:遺伝子組み換えのねじ曲げられた真実 (私たちはどのように騙されてきたのか)

 

 

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本格派
ベスト1000レビュアー
2016年9月29日
形式: 単行本
遺伝子組み換えに関するあらゆる事柄について「分かる」本だ。遺伝子組み換えに関する嘘、遺伝子組み換えの危険性、遺伝子の働きの捉え方の誤りなど、膨大な情報を集めてまとめている。この本を最後まで読み、理解できれば、あなたは遺伝子組み換えの危険性について、自信を持って知人に語れるようになっているに違いない。それほど遺伝子組み換えの問題についてあらゆる情報を網羅した本だ。

遺伝子組み換え技術の存在が明らかにされ始めた頃、ほとんどの科学者たちはその技術が人類を含む地球上のあらゆる生物に対して壊滅的な打撃を与える可能性があることを認識していた。しかしその認識はやがて、巨大な力を持つ企業と、彼らからの分け前に預かりたい科学界、政治勢力などによって、遺伝子組み換え商品が生み出す膨大な利益と引き換えに捨て去られることになった。

第1章と第2章では、遺伝子組み換えの技術がどのような経過によって、どのような嘘を積み重ねることによって規制を逃れてきたか、第3章では遺伝子組み換え技術を使った食品が起こしたトリプトファン事件(少なくとも80人が死亡、1500人が一生続く障害を負った)が、いかにして遺伝子組み換え技術が原因ではない、と印象操作されたか、第4章ではようやく技術的・生物学的な内容に入って行く。遺伝子の構造、仕組みと、従来の品種改良と遺伝子組み換え技術の違い。ここで説明される遺伝子組み換えの技法は、巷にばら撒かれている、機械の設計を変更するような精密なイメージとは全く異なり、極めて不正確で信じられないような乱暴で暴力的な手段を使って行われていることを知ることになる。この章を読んだだけで遺伝子組み換え技術が信用ならないものだということは理解できるはずだ。ここでの技術的内容は、私がこれまでに読んだ遺伝子組み換えに関するどの本よりも詳しく、遺伝子組み換え技術を理解するには必見だ。
第5章では、遺伝子組み換え食品がFDAの規制をいかにしてすり抜けたかが述べられている。1938年に制定された食品安全法は食品・医薬品・化粧品の安全性の確保を目的とした、米国で最も由緒のある消費者保護法である。医薬品は販売前に安全性を確認することが義務付けられているが、食品については、制定当時のほとんどの食品は何世紀にも渡って安全に消費されてきた実績があるため、食品自体の安全性のテストは求められなかった。しかし後に添加物の種類が劇的に増えたことに伴い、企業側には添加物が有害でないことの立証責任が課せられた。一方で、塩やスパイスなど「一般に安全と認められている」添加物(頭文字を取ってGRAS)についてはテストを免除した。
モンサントを顧客に持つ法律事務所の共同経営者の経歴を持つマイケル・テイラーが政策担当副長官に送り込まれたFDAは、遺伝子組み換え食品に組み込まれたDNAもGRAS免除条項に当てはまると主張した。安全に使われていたという記録のない物質の場合、それが安全だという証拠が「科学的な手続き」によって提供されなければならないのにもかかわらず、1998年にFDAを相手取って起こされた訴訟において、裁判長はこれらの決まりを無視し、FDAが遺伝子組み換え食品をGRASと認定したことにお墨付きを与えた。科学的な裏付けが一切ないにもかかわらず。その後、FDAはより大胆になり、遺伝子組み換え食品の安全性はFDAが行なったテストにより完全に証明されていると嘘の宣伝を繰り返し、政府関係者や国民を洗脳していくこととなる。
第6章では米国が作った異常なルールが世界へ拡散されていく様子が、第7章では米国において環境保護監督官庁である環境保護庁と農務省がFDAの後を追って規制を骨抜きにした経緯を、第8章では、「権力監視」という本来の役割を全く果たさず、逆にバイオ企業を後押しした米国メディアの罪を暴いている。

ここからは少し毛色が変わって、第9章では、本来は巨大であるはずの遺伝子組み換えのリスクが如何にして小さく見せようとされてきたか、第10章では様々な機関によって行われた実験や、過去の実験データの解析などによって収集された、推進派にとって極めて都合の悪いデータの数々が紹介されている。

遺伝子組み換えの発想は、「あの生物のあの性質をこの生物に入れたら、人間にとって都合の良い生物になるはずだ」という単純なものだ。しかし実際には、
1.思い通りの場所に遺伝子を組み込める確率が極めて低い
2.狙いの場所に遺伝子を組み込むことができても、望んだ性質が得られるとは限らず、逆に望まない性質が現れることもよくある
3.自然環境はすべての生物が密接に関わる複雑なシステムとなっており、遺伝子組み換え生物を環境中に放出(栽培など)したときに、環境中の他の生物にどのような影響を与えるかは全く分からない。これをテストすることは事実上不可能である。
このことを端的に伝えているのが第11章の「見過ごされたコンピューター科学の教訓」である。
私は知人に遺伝子組み換えの危険性を訴えるのに、自分の仕事であったカメラの設計に例えて説明していた。他社の製品を分解して、形だけ真似て作った模倣品は、設計の意図を完璧に理解できていないために似て非なる物にしかならないと。しかしこの章では機械ではなくソフトウェアに例えて説明しており、まさにピッタリの例えだ。とても興味深く、説得力が非常に高い章だ。
 
長くなり過ぎたので以下の章については省略する。

値段は高いが、遺伝子組み換えに関する「嘘」の数々と真実を様々な視点から我々に見せてくれる、遺伝子組み換えの全てが分かる本だ。買って損はない。
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榎戸 誠
ベスト100レビュアー
2016年8月20日
形式: 単行本
『遺伝子組み換えのねじ曲げられた真実――私たちはどのように騙されてきたのか?』(スティーヴン・M・ドルーカー著、守信人訳、日経BP社)は、ビル・クリントンビル・ゲイツバラク・オバマに宛てて書かれた依頼状である。依頼の内容は、遺伝子組み換え食品(GMO)が安全で、かつ発展途上国の食糧事情を解決する切り札だというデマゴギーに騙されていたことに一刻も早く気づき、GMO廃止に立ち上がってほしいというものである。

かく言う私もこのデマゴギーに見事に乗せられ、GMOは安全だと思い込んでいたのだが、本書を読み終わった時点で、GMO即刻廃止論者に転身したことを告白しておく。ビル・クリントンらが本書の依頼に応えるかどうかは分からないが、本書がいずれ、1962年に出版されたレイチェル・カーソンの『沈黙の春』と同じようなバイブル的存在になることは間違いないだろう。

著者が分厚い本書で訴えたいことは、下記の5点である。①GMOの商業化は、米国食品医薬品局(FDA)の詐欺的な行為によって可能となり、それがなければ商業化はありえず、今もそれに頼り続けている。②FDAは食品の安全に関する連邦法に違反してこれらの新しい食品を市場に押し出し、これらの食品は今も違法のまま市場にある。③FDAの欺瞞は著名な科学者や科学研究機関によってばらまかれた偽情報によって強力に補完されていて、GMOの事業全体が慢性的かつ決定的にこうした偽情報に依拠している。④GMOの安全性は科学的に信頼できる方法で確認されたことはかつてなく、相当な数の研究でその安全性に疑問が投げかけられている。⑤これらの食品には受け入れがたいリスクがある。

GMO問題の核心は、バイオ産業ではなく、科学者たちの不誠実さにあると、著者は告発する。「(GMOについて)心配する人びとは、GMOを製造するモンサントや他の多国籍企業の違法行為に注目し、これらの企業にすべての問題の責任があるとみなしがちだ。しかし、そこで見逃しているのは、これらの企業も、科学界の(そして特に分子生物学の)主流派が基本的な事実について政府と国民を組織的に欺いてお膳立てをしないかぎり、GMOの商品化は不可能だった点だ。そして、この不正行為が成功し、広がった懸念が実質的に鎮められていなければ、利潤を追求するこれらの企業がそもそもGMOの開発に必要な巨額の資金を投資したかどうか疑わしい」。

「生物工学が農業にまで拡張され、GMOの事業がフル回転を始め、モンサントや他の多国籍企業が本気で乗り出してきたあとも、科学界の主流派は、その事業の生存がかかる偽情報をばらまくことについては主役を演じつづけた」。

だからと言って、バイオ企業が責任を免れるわけではない。「(GMOの)事業は、科学の原則と手続きを尊重せずに回避し、食品安全法令に従わずに違反し、事実を公明正大に伝えず計画的にあいまいにし、しばしばゆがめることによって前身してきた」からである。

遺伝子組み換え作物は収穫量をより多くでき、農薬散布が少なくてすみ、環境への悪影響がなく、もちろん食べて安全――というバイオテクノロジー企業の主張に著者は激しく反論しているのだ。

植物科学者のパトリック・ブラウンの言葉を引いて、バイオ技術者は自分たちには必要な知識が備わっていないことを謙虚に認めるべきだと厳しく戒めている。「『科学者として、この手法を安全に利用するための十分な知識を持っていないことを認める責任が、わたしたちにはある』と述べた。彼は説明する。『遺伝子の組み込みと発現を調節する過程についてのわたしたちの知識は、まだきわめて初期の段階にあり、植物のゲノム(全遺伝情報)を操作する能力は未完成であることを認めなければならない・・・』。そして、わたしたちの今の知識の大半は、この人工的方法が伝統的な技術と『まったく』違うことを示しており、『予期しない代謝の攪乱を引き起こすことはよく知られている』と指摘した」。

著者の結論は、単純明快である。こんなにリスクのあるGMOは私たちに必要ないというのだ。GMOの安全性が確認されない限り、遺伝子組み換えという手法に頼らずに、従来の伝統的な品種改良で対応すべきだというのである。

本書に出会えた幸運に感謝したい。人類をGMOのリスクから救い出したいという使命感に裏打ちされた、説得力のある一冊だ。