「常陸の国風土記 -ある島での少年と少女のやりとり-」


本義だけが意味を成し、本義のみがクローズアップされますように


抜粋:「荒魂」(あらみたま)としての働きと「和魂」(にぎみたま)と言う働き

神の御魂(みたま)にはと言う働き「荒魂」(あらみたま)としての働きと「和魂」(にぎみたま)と言う働きがあると考えられています。

荒魂とは神の荒ぶる魂であり、天変地異を引き起こし、伝染病を流行らせ、人心を荒廃させて戦争へと駆り立てるのです。これに対して、和魂とは優美で穏やかな魂を指し、人間に自然の恵みをふんだんに与え、人類社会を平和に導くのです。
さらに和魂には
「幸魂」(さきみたま)「奇魂」(くしみたま)と言う二種類の作用があるとされていますが、簡単に申し上げますと、幸魂は狩りや漁の収穫をもたらすものであり、奇魂とは、人間に不思議な奇跡をもたらすものとされています。
神の御魂は人類社会に荒魂の災厄を及ぼすと同時に、和魂の恩恵を与えるものであります。
このような神の御魂の両極端な二面性が、神道の信仰の源となっているのです。
太古の昔より日本人は、神の御魂の荒魂としての作用に、大いに苦しめられてきました。
人々は神を畏れ、敬い、荒ぶる魂を鎮め祀ることで、荒魂を和魂に変えようとして、様々な儀式を行なうようになりました。
神道における祭祀(さいし)は、このようにして発達していったわけですが、私が皆さんにいままでもしつこく、清く明るく直く正しく生きよ。と申し上げてきたのは、この荒魂を鎮めることになるからでもあります。

ところで最近、我が国では、この荒魂の働きが復活しつつあるように思えてなりません。
特に人心の荒廃は著しく、不浄心(きたなきこころ)を持つ人間が増えてしまいました。
信仰を忘れた日本人は、自らを律することができなくなってしまったのかも知れません。

(中略)
すべての日本人は、迷える心を鎮め、穢れる心は祓って、神の摂理(みはかり)を尊び、清く明るく直く正しい道を歩んで行かなくてはなりません。03/07/02

※御魂(みたま) 「たま」の尊称。「たま」とは古代における霊魂の一般的呼称。また霊魂は「魂魄」(こんぱく)とも言い、魂は陽で精神活動の次元に、魄は陰で肉体的生理的な次元に関わっているとされています。
以上、神道辞典(弘文堂)より。
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