「常陸の国風土記 -ある島での少年と少女のやりとり-」


本義だけが意味を成し、本義のみがクローズアップされますように


エス=キリストを嫌っているのは、旧約聖書信仰ユダヤ教徒ではなく、当時のローマ教皇権力層及びイエスに利権いちゃもんつけられて「何様のつもりだ」と磔にもっていった柄みの流れが主 だろう

今みるなら、聖書にかいてあるようなそれらの職業は、周波数を著しく低くし、神の○○にどうのこうのなんだと思う 

せんじつめれば

「最初から神に愛されている」と言い続けていたのでは?