「Φ(ファイ)」は、「円の直径」を示す記号である。
直径であるということは、円の端と端の二点が繋がるということでもある。
円を三次元的に球体にした場合、どこのポイントに点を打っても、球体を回転させれば、その点を球体の直径を表す場所とみなすことが可能である。
これが何を意味するか?
フラワー・オブ・ライフ1巻のP324-334の多数の極座標グラフををみてほしい。
それらの図は、すべて直径を表すものとしても解釈できる(点であるとは限らない)。
「創造」とは、「虚数的」に考えてもいいのではないか?
ここでは「Φとは直径を表すものとして考えられればいいだけ」ともいえるからだ。
「Φの記号」は「円の直径」を「(シンプルに)シンボル化」したものとしてみなしているだけとも「(脳で)解釈」できる。
再度まとめる
Φは円の直径をあらわす記号(シンボル)
円(二次元)を三次元(球体)にして、どこかに点を打った球体を回転させて、そこから点の位置を直径とみなしてもいい。
これはフラワー・オブ・ライフの書籍で何度も現れているモノの見方だ。
また直径を示すために球体の回転が必要な場合と、必要でない場合がある。
私たちはこれまで、球体の回転が必要でない直径のものの見方(解釈)だけを採用していなかったか?
「回転している」とは「生きている」を指すことが多い。回転していないとは、死んでいるを指すときがあるのだ。
つまり、これまでの「回転していない固定した見方(あり方)」は「生きていない」を生む(生みかねない)なのである。
最後にまとめると
「創造」とは、特に「アストラル体」以上で、「虚数的に考えること」。
アストラル体は、肉体意識とは別な存在とも言え、感情表現を中心にした存在だ。エーテル体はエーテル体→肉体への一方通行だが、アストラル体は肉体からの意識を受け取れる。つまり、あなたはアストラル体の自らとコミュニケーションを取れるのだ。霊体(アストラル体)からの「創造」をエーテル体を媒介として肉体に反映させられる。
もし他者にエーテル体をおかしくされた、または肉体が偽エーテル体とつなげられておかしくされたら、偽エーテル体と肉体は「ミアズム成分」が同期しないことを示せばいい。シンプルにそういうことなので、あなたへのその思い込み反映は終わる(なんらかの誤認識がないか自ら確認する必要はある。いずれにしても本当のことを見抜く姿勢を維持しないと、その時点からズレてしまう。一番シンプルな方法論で考えることが最重要)。
そもそも偽エーテルからのみなし骨、それ自体に機械振動を送られて無自覚な肉体につなげ、アンドロイドとか悪質極まりないことをされても、自ら思いいこまなければ、それは思い込みでしかなくなくなる。骨は、カルシウムとくっついた珪素やコラーゲンで緩衝されるので、思ったようにそうならない。つまり本当のことをしる姿勢が必要だ、
途中経過である現代科学は、途中経過の思い込みで、全体像としての本当のことと分離しがちなので、気をつける必要がある。そういうこと!
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