「常陸の国風土記 -ある島での少年と少女のやりとり-」


本義だけが意味を成し、本義のみがクローズアップされますように


メモ:

「疲れて外してほしいと思っている人に向かえ」

「世の中でTOP10に電磁的症状が重い人」

などと指定すると効果的

「特に外してほしいなどと思ってないけど、症状が重い人」

にすると

→事件発覚

とコンピューター登録された任意の言葉が吐き出されて、「なんか橋浦がとんできた」とかよくわからない不満げを述べられた。

つまり、そういうこと

個人的にコンピューターインターフェイスを介したものは「誘導要素」が強く、本質から遠ざけるので、ただ自分で向かい合いたい。

また、コンピューターは複製世界であり、コピーした体感を後から行う人に送信し、内側に閉じ込めてしまう。そのデータは改変可能なので、いずれ本当の世界からズレさせてしまう。

自ら本物をつかみにいく意識が大事。

すくなくとも(予期していない自らの)ファースト(フロンティア)は、本物である可能性がかなり高い

以上

また同じことを

二回以上やると、その時点で複製世界に嵌る可能性があるので、人生は一度きりと同じようないあり方でつかむことが重要

そのありかたをすることで、「一元」の世界で「探求(自由意志)」をする姿勢が身に付く

私たちはそこにこそ向かう